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このようにして原子の内部現象から決定された時間の流れは、マクロな世界の時間の流れと
果たして同じものだろうか? 位置天文学でも、原子時計のさす時刻と一定の差をもつ力学時
を用いている。
力学時には、太陽系の重心(だいたい太陽の場所と思っていい)においた原子時計の刻みと
みなすべき「太陽系力学時」と、地球座標系における原子時計の刻みとみなすべき「地球力学
時」があって、両者には、相対論的効果によるミリ秒オーダの周期的な差がある。
アインシュタインの理論によって予言されたように、異なる重力場におかれた時計は、異なる
進み方をするからだ。
その問題とはまた別に、天体の位置を時計と考えた「暦表時」と「原子時」が連続しているの
か、というのが、観測によって決定されるべき未解明のなぞとなっている。
原子時は、原子という非常にミクロな対象によって定義されるものだ。暦表時は、天体の動
きという非常にマクロなものから定義される時間だ。
これらが「同じ流れ」であるとすれば、それは、ひとつの、ぞくぞくするような驚異である。ま
た、これらふたつの時間が「同じ流れ」ではない、としても、それはそれで、わくわくするような神
秘だ。
具体的にいえば、地球力学時は、原子時計が1977年1月1日0時0分00秒ジャストを指した瞬
間に、その時刻よりちょうど32.184秒進んでいるものとして、定義された。
長期間が経過したのちも、この差が32.184秒ちょうどのままである、という保証は、どこにもな
い。そうである(時間の進み具合が同じ)として観測結果と矛盾ないとしても矛盾するとしても、
どちらも大発見といえる。
位置天文学は、二種類の時間が同じ流れである、という前提で作られているが、現在の最高
の理論をもってしても、理論的に求まる月の位置と、実際に観測される月の位置が、少しずれ
ている。
なぜずれるのかは未解決の問題だ。もしかすると、「天体が身をゆだねている時間の流れ」
は、「原子時計で測定される時間の流れ」とは異なるのかもしれない。
そもそも、「原子時計の誤差」というのも、一種の不可知論の世界になってくる。誤差というか
らには「正しい時刻との差」が想定されるが、我々は原子時計以上に「正しい」時計を持ってい
ないのだから。
仮に、天体の示す時間の流れと原子時計が示す時間の流れが一致しなかったとして、どちら
が「正しい」時間だろう?
ある位置天文学者たちは信じているようだ。もし両者が食い違ったなら、それは原子時計が
長期的には安定した時間を供給してくれない証拠だ、と。
しかし原子物理学者は反論するかもしれない。原子内の現象のほうが、ずっと純粋で「清潔」
だ、と。不可解な食い違いが生じるとしたら、太陽系のような複雑系のほうに原因があるに違
いない、と。
理論と実験のタイミングが合わないとき、理論を疑うべきだろうか、それとも時計が狂ってい
ると(時計の原理となっている理論が狂っていると)思うべきだろうか。窮極的には、二つの理
論が「相対的に整合しない」ことしか断定できないだろう。
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