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「死」という現象、ないし現象の停止という現象は、「死ぬまぎわの無秩序」のことでは、ない
のです。
これは、「人生」というのが、決して、出産、つまり、生まれるときの過渡現象の騒ぎのことで
はないのと、同じです。
みなさんが時にごらんになるのは、他人の「死」ではなく、「生から死への移行の過程での過
渡現象」「過渡期の混乱」であり、体験されたのは、それにともなう情動であったのでは、ないで しょうか。
赤ん坊が生まれてくる瞬間を実際に観察したとします。赤ん坊がつらそうに泣きわめいてい
るのをみて、「人生とはつらいものなのだ」と帰結できるでしょうか。
結論は必ずしも間違いではないとしても、推論としては正しくないでしょう。生まれる瞬間の赤
ん坊の経験は、「人生」そのものではないからです。
そのように、人が死ぬ瞬間において観察されることがらは、「死」そのものでは、ありません。
「死ぬこと」と「死ぬ瞬間」は、「人生」と「出産の瞬間」がまったく別問題であるように、いちおう
べつのことがらでしょう。
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