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おおざっぱに言うと出会い方は2種類ある。ひとつは、だれかにすすめられて――。好きな相
手(片思いの相手や、尊敬する先輩)のおすすめ(ないし読んでいる本)だったりすると、その 本を読むことで、相手と精神世界を共有できるような、ひそかなときめきがあったりする。
このときめきは本の内容そのものとは関係ないにせよ、そうやって、楽しい本に出会えたら
二重にすてきだろう。
半面、気にくわない教師とかが、これはいい本だから読んでみなさいなどとすすめて、で、読
んでみてたしかにいい本だったとしても、この場合、なんとなく、その本に気にくわない教師のイ メージがしみついてるようで、本の内容は良くても出会い方については、ちょっとマイナス点か もしれない。
気にくわないと思った教師の印象が良くなる可能性もあるが、いずれにせよ、本の感想と紹
介者についての感想が混ざって、純粋に作品世界を楽しめなかったりする。最悪の場合、その 本を読みながら、自分が読んでいるのと同じ行を、紹介者(その教師)の視線がうしろから肩越 しになぞっているようで、なんとも興が乗らない。
以上は「おみあい」のようなもので、より好ましい出会い方は、なんといっても「おみあい」に対
する「自由恋愛」、つまり、自分で読む(恋する)相手(マンガや本)を見つける、ことだろう。
特に、ひとめぼれ……。図書館の、あまり人も行かないような薄暗いかたすみで、聞いたこと
もない著者名の本が謎めいたウィンクをする。もっと鋭敏になると、図書館(や本屋さん)に入 った瞬間から、「あっ、きょうは、なにかある」と分かる。
もちろん新着案内、新刊案内などを見てそう思うのでない。たとえ一万冊の本がならんでいよ
うと、足が勝手に正しい棚の前に歩いていって、必ずその本がちゃんと目に入るしかけになっ ているのだ。
往々にして、そういうふしぎめいた出会い方をした本が、自分の人生を大きく変えたりする。
いっそう独特の、第3の出会い方もある。
どうしても自分が読みたいような物語がこの世界に存在しないとき、ある人々は「ないものは
作ればいい」と自分で自分が読みたい物語を作ってしまう。
そういう仕方で生まれた作品が、あとから普遍的価値を持つものとして評価されることもある
し、そうならないこともあるけれど、自分の分身たちが住むもうひとつの世界は、ときに、自分で も忘れていた広すぎる故郷を、思い出させてくれる。
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