アーキスとガラテーア


原作、オウィディウス『Metamorphoses』第13巻より。イラスト:cミール・エア・リーデ





 海の妖精ガラテアは、岩のむすめのスキュッラに髪をすいてもらっていた。
深いため息をついて言うよう、「ねえ、スキュッラ、あなたに言い寄る者たちは、
人の子らだわ。人間の願いなら、断ることもできましょう。
わたしは、紺碧(こんぺき)の海の女神ドーリスのむすめ、
海の姉妹たちのところにいっしょにいれば、あんのんと暮らせるのだけれど、
ポリュペーモスをこばめましょうか……あの一つ目の巨人族を……」
海の妖精ガラテアは、そう言って、涙で息をつまらせた。
 岩のむすめのスキュッラは、そのやさしい指先で、そっと涙をぬぐってやって、
「お可哀想に、いったいなにがあったのですの?
どうか隠さずわたくしにお話しくださいまし」


ガラテーアの語り

 海の妖精ガラテアは、答えて言うよう、
「川のニンフとファウヌスの子に、アーキスという美しい若者がおりましたの。
父にも母にも自慢の息子、そして、ああ、わたしにとっても日の光。
彼はわたしを愛してくれたの、ただわたしだけを――」

「アーキスは十六歳、まだひげもはえない美少年、
彼はわたしの愛でした。けれどわたしは、ポリュペーモスに見そめられ、
果てしなく求愛された。アーキスを愛する気持ちの激しさと同じくらいに、
わたしは激しくうとんだわ、つきまとう一つ目怪物ポリュペーモスを」

「ああ、愛の女神ビーナスよ、愛のちからは何と偉大でふしぎでしょう、
そしたらあの野蛮なポリュペーモス、森の怪物、旅人の恐怖も、
恋のくるしみを知ったのですの。わたしにうとまれていると知るや、
自分のわるいところを改めようと、いっしょうけんめい。
大きなくま手で、もつれた髪をとかしたり、
大きな鎌で、もつれたひげをそろえたり、
あの血に飢えたあらくれ者が、
乱暴なおこないをつつしむようになったので、
旅人たちも安心して行き来できるようになったのでした。
そんなけなげなポリュペーモスに、
高名な鳥占い師、預言者のテレムスが、
『そなたの片目は燃え立つべし』
片目の巨人ポリュペーモスは、笑って言うよう、
『おおまぬけな預言者め、燃えるもなにも、
おれの顔には、もともと片目がないと来ている、
ないものがどうして燃える? わっはっは、おぬしも焼きが回ったな』」


孤独な怪物のうた

「それから巨人のポリュペーモスは、
岬の先の岩山の、てっぺんに腰かけて、
たったひとりで歌ったわ。その声は岬の崖にとどろきわたり、
わたしも聞いたの、岩かげで、若い少年アーキスの腕(かいな)のなかで」



「ポリュペーモスのどら声は、震えるばかりに恐ろしい、まるでわれ鐘。
だけどわたしは忘れられない、彼の歌ったそのうたを――
『ああ、うるわしき海の妖精ガラテーア……雪より白く、
しなやかな樹よりもすっくりと立ち、花よりもかぐわしく、
水晶よりも輝かしく、子どもらよりもあどけなく、
海辺の波に洗われた真珠色の貝殻よりもなめらかな、おれのいとしいガラテーア。
冬の日だまりよりも暖かで、夏の木陰よりも涼やかで、
高きこずえの林檎の実よりも高らかで、
すっかり熟した葡萄の実よりも甘やかで、
晴れた空よりいっそう明るく、透明な氷よりも澄みわたり、
白鳥の羽根よりも生クリームよりも柔らかな、おれのいとしいガラテーア。
ああ、あんたは、おれを愛してくれるだろうか……
清らかな小川の流れる緑の野よりも美しき、おれのいとしいガラテーア』」

「『ああ、あんたは、おれを悩ませる……
野生のけものよりも容赦なく、古い樫の木よりも堅く、
海の波のように気まぐれで、
折れない柳、丈夫なぶどうのつるよりかたくなで、
うずまく急流よりも激しくこばみ、とがった岩よりも鋭く拒絶し、
くじゃくよりも高慢で、焼き尽くす火よりも残酷な、おれのいとしいガラテーア。
いばらよりもとげとげしく、海よりも冷たく、
仔熊を守る母熊よりも恐ろしく、蛇よりも冷血な、おれのいとしいガラテーア。
猟犬から逃げる鹿よりすばやく、おれから逃げてしまうのだ。
おれを見るや、風より速く走り去る――。
ほかは何でもがまんするけど、見るだけで逃げるだなんて、
つらすぎる。ああ、おれのこころをあんたに見せたい、
この気持ちが伝わりさえすれば、あんたは逃げたりしなかろうに……』」


一つ目の巨人、ふたりに気づく

「悲しげに歌い終わると、
巨人の怪物ポリュペーモスは立ち上がり、
『こんちくしょう』とつぶやくと、
めくらめっぽう歩き始めた、
いても立ってもいられないというふうでした。

岩影で、わたしはそっと見ていたの、
若い少年アーキスの胸にもたれて……。
運命のいたずらで、巨人は不意にこっちを見たの。
アーキスとわたしは彼に見られたわ。
巨人の怪物ポリュペーモスは、大きな口で、どなったの。
『そうかい、そうかい、分かったよ! だがこれでおしまいだ!』
恐ろしく大きな声、エトナの山にこだまする。
あまりの怖さに動転したの。
思わず海に飛び込んだ。わたしは故郷の水の住まいに。
取り残されたアーキスは、ああ可哀想、おろおろとたじろぎながら、
叫んだの。『待って、ガラテア! ああ神よ、ぼくを助けて!
怪物に殺されてもいい、だけど最期の一瞬までずっとそばにいたいんです、
死ぬのなら、彼女のそばで死なせてください――』
巨人の一つ目ポリュペーモスは、いかりくるって岩を引き裂く、
わたしは急いでアーキスを助けようとしたけれど、
そのときにはもう、飛び散った岩のかけらが彼をつぶしていたんです――」



「若い少年アーキスのむくろから、
谷間の激しい流れのように鮮血がしぶきをあげてほとばしり、
神々は、あわれんで、アーキスを流れる川に変えました。
ほら、スキュッラ、
シチリアにアーキス川があるでしょう、
わたしの愛した少年の、生まれ変わった姿なの。
わたしの記憶のなかに住む彼は今でも十六歳、
しなやかで若い少年……。
もうあれから千年もたつかしら、
アーキス川は今も変わらずあるけれど――」
海の妖精ガラテアは、岩のむすめのスキュッラに、
髪をすいてもらいつつ、悲しげに目をふせた。
死すべき人の子アーキスの、はかない命を嘆きつつ、
不死なるエルフのガラテアは、
千年前とすんぶんたがわず輝く髪をなびかせて。




あとがき

ご承知のようにオウィディウスの「変身物語」(メタモルポセス)は、ちょうど紀元前から西暦1世紀になる「紀元前後」
の作品だ。しかし、海の妖精(ネレイデス)のガラテイアは、紀元前15世紀ごろのイーリアスにも登場している。パトロ
クロスが自分の身代わりに死んでアキレスが悲嘆に暮れているところへ、なぐさめに現れる妖精たちのひとりとして
名前があがっており、しかも、「名高き」ガラテイアという形容詞がついているので、当時から、ネレイデスのあいだで
もよく知られているエルフだったらしい。ちなみに、アキレスの母もネレイデスのテティス(父親は人間の王。したがっ
てアキレスは半妖精)、つまり、ここに登場するガラテイアは、アキレスの「おば」にあたる。「おい」のアキレスの悲し
みをいっしょに悲しんでから約1500年後のメタモルフォセスにも「ちゃっかり」登場しロマンスしてるところが、なんとも
妖精ふうだ。――イラストは、リーデさんが暑中見舞いとしてえがかれたもので、涼しげな海がモティーフになってま
す(このページの絵は縮小版です。美しい原寸大の原画をごらんください)。同じ「アーキスとガラテーア」ねたでも、リ
ーデさんが絵にこめられたであろう「物語」とは、あえてべつの解釈というか脚色をしてみました。白黒の挿入画は
The Ovid Project: Baur, 1703, Book 13 から引用しました。


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